ずっと以前から、台風の日の海の中に沈み、上も下も、右も左も分からず、呼吸の出来ない苦しさに目を向けていてしまうとより苦しくなるから力を抜かなければいけない、この台風がいつかは終わると思い込むことで苦しさを誤魔化すような生き方をしていたのだと気づきました。
でも、その台風は自分の作り出した夢で、夢から醒めれば静かで、穏やかで、温かい海にただただ浸かっていただけでした。
最近、幼少期(中学生のころまで)の記憶がないことと、母に対しての漠然とした嫌悪感がどこから出てきたのかを昇華するフェーズに入っていました。
ある人は、近親者に昔の自分について尋ねてみては?といい、ある人は今の思考のクセと向き合って気づけば過去からのものを手放せるのでは?とアドバイスをいただいて、取り敢えず近親者に昔の私について聞いていました。
ですが、叔母は家にいたわけではないから分からないと答え、弟もそれぞれ自分の部屋にいたから分からないと答え、保育園からの幼馴染には保育のころからお母さんにベッタリという感じではなかったのと、家に行っても誰もいないことが多かったよ、とそれぞれが答えてくれました。
結局、どんな私だったのか、どんな母だったのかはいまいち分からず、記憶も戻ることもなかったので、“取り敢えず”と問題の先送りをしました。
ですが、ここ数日台風の波が巻かれて頭も心も身体もぐちゃぐちゃになったような状態になっていたことで、また向き合うこととなりました。
私のメンターのような方に、先ずは台風の夢から醒ましていただき、会話も思考もできるような状態までもっていっていただき、ここ数日のことを振り返りながら、怒りや悲しみなどの感情の湧きどころまで掘り下げました。
そこには私のギブアンドテイクの思考があり、場所への執着があり、自分の思う正しく在ろうという私への押し付けがありました。
そこから更に会話を重ねて、私は母に良くも悪くも評価され続けることに嫌悪を感じ、それが今にまで繋がっていることに気づきました。
友だちを家に招くと母に「靴を揃えるコor揃えないコ」「お邪魔しますと言えるコor言えないコ」「お菓子を持ってくるコor持ってこないコ」「冷蔵庫を開けるコor開けないコ」etc...
あの子はあれができていなかった
あの子はあれができていた
あの子はああいう子だ、なんて私の行動だけでなく、周りの行動も観察し、ジャッジする母に嫌悪を感じつつも、母に何も言われたくないがために家にあげる前には申し訳ないんだけど靴揃えたり、お邪魔しますと言ってもらっていいかとお願いしたり、母がいない時に人を家にあげるようになっていました。
母のジャッジを受け容れていないのに、事勿れ対応として受け容れて、友人に強要していたんです。
それを繰り返すうちに、嫌悪している行動を私も母のように取るようになり、母に対しても、自分に対しても嫌悪感を持ち、許せなくなっていました。
でも、それに気づけたので、去年以上に今年は変わる気がします。
母のジャッジする癖は癖で否定も肯定もしなくていいし、そこに引っ張られていた自分も然り。
気づいたのなら、手放せばいいだけです。
日常の中の物事に対する見方の癖もそこに起因するところが大きいので、事象(真実)をみて、(自分の正しさ)概念をつけない。自分の都合のいい解釈をしない。違和感に引っ張られない。
という部分を丁寧にやっていこうと思います。
また何かあれば、この場を借りて頭の整理の為の言語化やシェアをさせていただきますね。
今週もよろしくお願いいたします